2004年 11月 10日
30番札所 百々山善楽寺
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どうも、山の斜面に築かれた墓地を通る遍路道、というのは情緒がない。
人の墓地のお参りにきたようである。
前を、国分寺で見かけた年の頃60代後半くらいの女性が行く。
白衣も着ておらず軽装だったので、お遍路さんとは思わなかったのだが
彼女も国分寺から歩いてきたようである。
次の善楽寺は、遍路なら
知らないものはいない「いわくつき」のお寺である。
明治時代、各地のお寺は“廃仏毀釈”により
廃寺に追い込まれるなど、大変な目にあった。
その波はここ四国の地も例外ではなく
八十八カ所のお寺のいくつかも、廃寺になったりした。
この善楽寺も廃寺になり、ご本尊は「安楽寺」へと移された。
善楽寺は、昭和四年には再興したものの
本尊は安楽寺に安置されたままだったので
長い間、30番札所は「安楽寺」とされ、何と平成六年まで
二つのお寺で、もめることとなったらしい。
平成六年にご本尊は善楽寺に戻り、こちらが30番札所、
安楽寺は「奥の院」ということで、一応の決着がついて、現在に至る。
それまでは、どちらを詣ってもいい。とされていたらしい。
その安楽寺さんは、高知の市街地近くにある。
四国の札所であるか否かは、お寺にとって大問題なのであろう。
無粋な話しだが、やはりお金の入りが違う。
実は四国には、この八十八カ所以外に
「なんとか○○カ所廻り」というお寺のグループがたくさんあるのだ。
「新八十八カ所」などややこしい案内も多く、遍路泣かせだ。
・・・お詣り前に、俗っぽい話しになってしまった。
そんな善楽寺は、小さなお寺で
隣に高知の一之宮神社があるせいか
まるで間借りしているようなお寺だった。
見慣れた小坊主くんの顔も
ここだけちょっと違う。
人の墓地のお参りにきたようである。
前を、国分寺で見かけた年の頃60代後半くらいの女性が行く。
白衣も着ておらず軽装だったので、お遍路さんとは思わなかったのだが
彼女も国分寺から歩いてきたようである。
次の善楽寺は、遍路なら
知らないものはいない「いわくつき」のお寺である。
明治時代、各地のお寺は“廃仏毀釈”により
廃寺に追い込まれるなど、大変な目にあった。
その波はここ四国の地も例外ではなく
八十八カ所のお寺のいくつかも、廃寺になったりした。
この善楽寺も廃寺になり、ご本尊は「安楽寺」へと移された。
善楽寺は、昭和四年には再興したものの
本尊は安楽寺に安置されたままだったので
長い間、30番札所は「安楽寺」とされ、何と平成六年まで
二つのお寺で、もめることとなったらしい。
平成六年にご本尊は善楽寺に戻り、こちらが30番札所、
安楽寺は「奥の院」ということで、一応の決着がついて、現在に至る。
それまでは、どちらを詣ってもいい。とされていたらしい。
その安楽寺さんは、高知の市街地近くにある。
四国の札所であるか否かは、お寺にとって大問題なのであろう。
無粋な話しだが、やはりお金の入りが違う。
実は四国には、この八十八カ所以外に
「なんとか○○カ所廻り」というお寺のグループがたくさんあるのだ。
「新八十八カ所」などややこしい案内も多く、遍路泣かせだ。
・・・お詣り前に、俗っぽい話しになってしまった。
そんな善楽寺は、小さなお寺で
隣に高知の一之宮神社があるせいか
まるで間借りしているようなお寺だった。
見慣れた小坊主くんの顔も
ここだけちょっと違う。
by fudarakutokai
| 2004-11-10 14:32
| 修行の道場(高知)