2004年 12月 03日
さて、次はいよいよ石手寺だ。
松山市街地で、道後温泉も近くにあるので
参拝客も多い。
石手寺までの道も、さすがにゴチャゴチャして
人も車も多く、歩きにくい。
石手寺は、先ほどの衛門三郎の縁起が残るお寺である。
・・・・・・・・・・・・・
衛門三郎が亡くなる際、弘法大師は
道ばたの石に衛門三郎と書いて、左の手に握らせた。
翌年、道後の領主、河野息利に子が生まれたが
その子は左手を固く握って開かない。
父母は心配して、安養寺の住職に
加持をしてもらったところ手を開いた。
すると中から石が転げ出て、石には衛門三郎と書いてあった。
その子は15歳で家督を継ぎ、
人民を慈しみ偉大な功績をあげたとのことである。
河野家に代々伝わるその石を、一遍上人の代に
河野家の菩提寺、安養寺に納め、
南北朝時代にはその故事にちなんで
石手寺と称されるようになったそうだ。
衛門三郎と刻んだ石は玉の石と呼ばれ、寺の宝となっている。
・・・・・・・・・・・・・
そんな石手寺は、とにかく大きなお寺だが
特に目を惹いたのは、山門から境内まで続く露店が並ぶこの回廊だ。
境内も胎内洞窟があったりと、見学するところ満載のようだが
ちょっと先を急ぐので、駆け足でめぐる。
この時ちょうど激化していた、イラン対アメリカの戦争に
折り鶴を折って反対しよう。とお寺が提案していて
折り紙が用意されていたので、
納経を待っている間、わしも一羽折って奉納したところ
ご住職手書きの『思いやり平和不殺生』と書かれた
短冊をいただくことができた。
相方も参加したかったが、折り鶴の折り方が分からず
断念。
このお寺では、この先のお賽銭用にと5円玉を束にして
用意してくれていたので、両替してもらった。
松山市街地で、道後温泉も近くにあるので
参拝客も多い。
石手寺までの道も、さすがにゴチャゴチャして
人も車も多く、歩きにくい。
石手寺は、先ほどの衛門三郎の縁起が残るお寺である。
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衛門三郎が亡くなる際、弘法大師は
道ばたの石に衛門三郎と書いて、左の手に握らせた。
翌年、道後の領主、河野息利に子が生まれたが
その子は左手を固く握って開かない。
父母は心配して、安養寺の住職に
加持をしてもらったところ手を開いた。
すると中から石が転げ出て、石には衛門三郎と書いてあった。
その子は15歳で家督を継ぎ、
人民を慈しみ偉大な功績をあげたとのことである。
河野家に代々伝わるその石を、一遍上人の代に
河野家の菩提寺、安養寺に納め、
南北朝時代にはその故事にちなんで
石手寺と称されるようになったそうだ。
衛門三郎と刻んだ石は玉の石と呼ばれ、寺の宝となっている。
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そんな石手寺は、とにかく大きなお寺だが
特に目を惹いたのは、山門から境内まで続く露店が並ぶこの回廊だ。
境内も胎内洞窟があったりと、見学するところ満載のようだが
ちょっと先を急ぐので、駆け足でめぐる。
この時ちょうど激化していた、イラン対アメリカの戦争に
折り鶴を折って反対しよう。とお寺が提案していて
折り紙が用意されていたので、
納経を待っている間、わしも一羽折って奉納したところ
ご住職手書きの『思いやり平和不殺生』と書かれた
短冊をいただくことができた。
相方も参加したかったが、折り鶴の折り方が分からず
断念。
このお寺では、この先のお賽銭用にと5円玉を束にして
用意してくれていたので、両替してもらった。
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by fudarakutokai
| 2004-12-03 12:30
| 菩提の道場(愛媛)